もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう③

REVIEW

第3話 夏の夜の八分坂

キャスト

久部三成 … 菅田将暉
倖田リカ … 二階堂ふみ
蓬莱省吾 … 神木隆之介
江頭樹里 … 浜辺美波
風呂須太郎 … 小林薫
トニー安藤 … 市原隼人
大瀬六郎 … 戸塚純貴
パトラ鈴木 … アンミカ
毛脛モネ … 秋元才加
朝雄 … 佐藤大空
おばば … 菊地凛子
江頭論平 … 坂東彌十郎
うる爺 … 井上順
伴工作 … 野間口徹
ジェシー才賀 … シルビア・グラブ
乱士郎 … 佳久創
浅野大門 … 野添義弘
浅野フレ … 長野里美
トンちゃん … 富田望生
黒崎 … 小澤雄太
彗星フォルモン … 西村瑞樹(バイきんぐ)
王子はるお … 大水洋介(ラバーガール)
仮歯 … ひょうろく
毛利里奈 … 福井夏
ケントちゃん … 松田慎也
いざなぎダンカン … 小池栄子

あらすじ

○書いては壊す、演出家の焦燥
 久部(菅田将暉)は「夏の夜の夢」の脚本に苦戦し、リカ(二階堂ふみ)の一言で原稿を破り再執筆を決意。創作の衝動と破壊の繰り返しに、彼の劇作家としての執念と焦りがにじむ。

動き出す楽屋の人々
 莱(神木隆之介)は演出助手として奔走し、劇場メンバー全員を配役。芸人、ダンサー、支配人までもが舞台に立つことで、WS劇場全体が“ひとつの舞台”になり始める。

ぶつかるプライド、重なる孤独
 稽古中、久部の激情が爆発。リカに制され、暴力の寸前で我に返る。リカは「芝居を愛する人なんてここにはいない」と言い放ち、久部は自身の復讐心を吐露する。

灰皿の教えと再生の兆し
 おばば(菊地凛子)の「灰皿は灰を捨てるためにある」という言葉に、久部は過去を捨てて前へ進む決意を固める。壊れた人間たちの中に、再び“演劇”の光が差し始める。

○笑いの転換点
 芸人コンビ・フォルモン(西村瑞樹)とはるお(大水洋介)がボケとツッコミを逆転。笑いの構造を変えることで、自らの表現を取り戻す姿は、舞台を生きる意味そのものを映す。

見どころ

○台本過剰削除とクリエイターの葛藤
 「長すぎる」「セリフは少ない方がいい」という指摘を受け、久部が原稿を破るシーン。問われるのは“作品をどう削るか”ではなく“何を残すか”。創作者の苦悩が映像として強く刺さる。

○フォルモンの笑いの再定義
 コントの役割を逆転させるフォルモンとはるお。笑いの本質を問い直す場面が、芝居=人生というテーマと見事に重なり、物語に深い哲学性を与えている。

○リカの冷たい真実
 「ストリップに飽きただけ」と言い放つリカの一言が、久部の幻想を粉砕。愛と芝居の境界を冷たく切り裂く。

感想

 久部の執筆風景から始まり、芸人、ダンサー、さらに支配人まで巻き込んだキャスティング。そして稽古場の混沌さはまるで現実社会を舞台化したような群像劇の味わいを生み出していた。

 リカの「ここに芝居を愛している人なんて1人もいない」という冷めた一言が印象に残った。WS劇場の人間にとって舞台は芸術というより生活のための表現だったから。だから久部への反論となった。

 ただ、それと同時に実はリカは芝居を好きで愛してもいるがそれを認めたくないという情熱の裏返しでもあるのではないかとも思える。それがこの冷たい一言になったのかなと思う。

 そして、おばばの「灰皿は灰を捨てるためにある」の一言も興味深い。軽く流して見てしまうと久部が何度か灰皿を掴んで投げようとしていたので投げる物ではないと考えてしまいそうだがそうではない。

 久部にとっての灰は自分を追放した劇団への復讐心。灰皿は「灰を残すため」ではなく「灰を捨てるため」にあるとは、それを捨てて清算しろということなんだと思う。

 さらに芸人フォルモンとはるお、ボケとツッコミの逆転。芝居の中で役を演じながら、自分の本当の役を見つめ直した。新生コントオブキングスの誕生だ。